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三津屋葉子 東京大学物語


内容紹介

ビッグコミックスピリッツに連載されていた人気漫画の初映画化作品。

漫画家江川達也本人が初監督。
主演にアイドルタレント三津谷葉子、人気急上昇の若手俳優田中圭を起用。



東京大学物語
三津谷葉子
おすすめ度 ★★☆☆☆


水野遥(三津谷葉子)は天才的な頭脳を持つ高校生。過去にいじめを受けたトラウマから「人並みの」生き方を演じていた。ある日学年トップの村上直樹(田中圭)から告白された遥は恋に落ち、二人三脚での東大合格を目指す。しかし、受験前日に浮気をした上に不合格となった直樹は、合格した遥を避けるように。遥は、東大に再チャレンジする直樹をけなげに思い続けていたが、距離は広がっていくばかりで…。
1500万部を越える大ヒット漫画「東京大学物語」の原作者・江川達也が自ら監督、遥を主人公に置き換えて映画化。エッチな場面を織り交ぜつつも、遥のひたむきな思いをつづった青春ストーリー。賛否両論ある衝撃のエンディングは、痛々しくせつない。(仲村英一郎)

★☆☆☆☆ 2007-03-08 英語で言うと「chick flick」
日本人の「出る杭は打たれる」精神を「日本人を家畜にしている」アメリカの所為だという学説をこの映画で初めて出会った。確かに笑わせてくれたけどそれは悪い意味でね。

★★★★★ 2007-01-01 三津谷葉子as女優
僕は、水野遙ちゃんみたいな子が好きです。

ドラマの主人公に、純情一途な「まごころ」を捧げ続ける子が。

原作は中途半端なままだから、絶対これでは、作者本人が納得してないだろうと思ってた。

ケジメをつける機会を、狙ってたんじゃないか、とも思った。

それは、彼の文やインタビューからも、はっきり窺えたし。

で、出来たのが、この映画だったんじゃないか。

描きたかったのは、

・遙ちゃん目線での、純愛

・原作で表現しきれなかったことに関する、作者から遙ちゃんへのメッセージ

・遙ちゃんファンへの、作者のエクスキューズ

ではないかと思う。

「売る」ための映画だったら、いくら監督業シロートでも、こんなエンディングにはしないだろう。

「二人は結ばれたけれど(夢でも可)、遙は死んでしまった」と落せば、涙を誘うことは出来る、くらいのことは、当然わかってたはず。

でも、そうはしなかった。遙には、失恋しかない。

これは絶対、作者として「譲れない一線」だろう。

でも「遙は、ひとり寂しく、死んでしまいましたとさ」では、救いがなさ過ぎる。

だから「想いを受け止める者」としての、作者自身の映画への登場が必要だったんだろう。

但し、「水野遙」は二次元人であって、この世界の存在ではないから「これは、お話だよ」とも言わねばならない。

そう考えていくと、あのラストは、必然だとしか思えない。

但し、そう思うのは、作者本人・遙ちゃん・そしてその両方のファンという、ごくごく限られた者だけだろう。

あえて言わせてもらえば、これ以外のラストでは、僕は納得できず、怒り狂ったと思う。江川達也ってふじっこと通じる考え方の持ち主じゃないかと思う。

だから、葉子ちゃんを選んだ真の理由も、聞いてみたいなあ。

絶対胸だけじゃないと思う。だって、葉子ちゃんより大きい子なんていくらでもいるんだから。

★★★★★ 2007-01-01 三津谷葉子as女優
この「東京大学物語」はどうしても遙目線で描きたかったんだ。

そして映画も、その意味においては成功していたと思う。もちろん「補完」が第一目的だから、原作を知らない人にはわかりにくい、感情移入しにくい部分もあったかもしれない。

けどそれは、承知の上で大胆に切り捨てたのだ。そうでなければ、本当に言いたいことが言えないから。

伝わりましたよ、十分すぎるくらい、伝わってきた。途中からもう、涙が止まらなくなっちゃったよ。(泣)

この作品、早晩「原作者の自己満足」という評価だけを残して、消えていってしまうのかもしれない。

でも、伝わる人には、間違いなく伝わった。

「感情移入できたかどうか」これだけですよ。また、今回、なぜ葉子ちゃんが水野遙と言えば、監督は「HシーンOKだったから」とか「ムネがデカいから」とか言ってるけど、あれはマスコミ向けリップサービスでしょ?

「薄幸の美少女」「健気な」で表わせる子って、葉子ちゃんが筆頭じゃないの?

雪の中、村上君のアパートの下でじっと佇むシーン、素晴らしいよね。

雪山から一気にラストへドタバタなだれ込む展開、下手な子がやれば、コメディになっちゃうか、意味不明にしちゃう。僕は葉子ちゃん、上手いと思う。

「脱ぎっぷりが悪い」とか「出し惜しみ」とかいう声がありますね。

それは葉子ちゃんの拒絶でも、ジムショの躊躇でもないでしょう。「遙ちゃんは「聖母(マドンナ)」ですよ。清らかなままでいなくちゃならない。

それは「肉体的に」でも「精神的に」でさえない。もっと高い部分での「絶対性」というか。だからこそ彼女は、ああなるしかなかった。という部分で、モロ出しシーンは範田紗々ちゃんや不二子ちゃんに回ったんでしょう。

ズバリのシーンがあっても、多分葉子ちゃんにもジムショにも抵抗はないと思うし、僕にもありません。



★☆☆☆☆ 2006-12-24 こんなものか
三津谷葉子の乳首は拝めないことは

事前に知っていたのでそこは期待せず鑑賞したがそれにしたってこんな程度か?

教卓でのシーンはディープキスがメインでブチュブチュばっかしていて三津谷の乳は

村上役の手から乳の肉が少しはみ出てる程度しか見えません。揉んでるというか

乳に手を置いているといったほうがあっている。当然吸ってもいません。

「全裸」のシーンはほんと一瞬で公開前雑誌で流されたワンショットのあれだけといっていい。

あとは毛布にくるまってるし二人が結ばれる(そのものずばり結合シーン)は三津谷は

雪山で遭難して気を失って無意識状態であえぐとか悶えるとかなく眠り顔アップばかりで

完全にマグロ。これだけ?という感じだった。唯一の見所は村上役とエリ役の範田紗々の

ベッドシーン。(話はそれるけど「範田紗々」って芸名「パンダ笹」をもじってるだけで

AV女優みたいな安直な芸名つけずに事務所はもっと考えなよ、と思ってたら本当に

AV女優になっちゃいましたね)配給がソフト・オン・デマンドの名だけある。

でもそのシーンは10分ないと思うので映画代(上映はとっくに終わってるけど)

DVD代を払うにはもったいないのでレンタルをお勧めします。



★★☆☆☆ 2006-12-02 三津谷葉子には最優秀乳首防衛賞をあげよう。
ネットの掲示板で江川作品批判者と擁護者のやり取りをROMったことがある。

最後のほうは擁護者が批判者に「天才江川先生の深いメッセージ、真の幸福とは何かを理解できぬ愚か者めが!!」といった反論になっていき笑ってしまったことがある。

誰がなんと言おうと江川作品は深いメッセージよりもエロで売れたのである。

さて漫画が映画化、もちろんR-15でしかも監督は原作者というわけでどんなもんかと見に行った。

第一の見せ場である教卓でのシーン。ここははじめて好きな人におっぱいを見られるひとつのヤマ場なのに三津谷が乳首を見せない。後半のクライマックスで見せるのかと思ったら全裸になっても手の位置は頑なに不自然に乳首をしっかり守っている。なんだか外したな、と思った。三津谷が出てくるだけで大喜びのファンならそれだけで「葉子ちゃんのラブシーン、裸をここまで見れた」「葉子ちゃんがんばった!」とか思うんだろうけど別にファンではない自分は完全に映画のテンションを下げてしまったと思う。まあ三津谷を責める気はない。乳首を出したくない、出せない理由があったのだろう。

これは肝心のシーンで確実に全部脱げる契約、または全部脱げる素材をキャスティングしなかった監督江川の責任だ。その分範田紗々が激しいカラミで完全に三津谷を食っちゃった感があるが。

そしてそしてラストどうくるのかと思ったらなんと江川教祖が直々に映画に降臨(笑)

遥ご本尊と夢の対談。(江川信者はここで失禁級の感動)

どんでん返しってこのことか?このことなんだろうな。漫画でも最後はグダグダな江川作品らしい終わり方。

もしあなたがこの映画を見て面白く観られなかった人で、それが何らかで江川信者と接触してしまい「この映画にはエロの奥に隠された深いメッセージが・・・」とかいってきたら「自分はそういうの(宗教)興味ないんで。」とスルーしましょう。







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